2024.11.19(火)は新大宮から飛鳥へ行ってみました。飛鳥は奈良盆地の南の方です。
新大宮の駅ですが奈良方面と西大寺方面で改札口がそれぞれ違います。また駅のイスが縦に一列なのも都会では見られない光景です。
飛鳥駅に到着です。
駅前でレンタルサイクルを借ります。900円でした。
高松塚古墳壁画
高松塚古墳の敷地内に入ります。少し迷路みたいな感じでした。
これが高松塚古墳です。今となってはただ小さな草の生えた丘と言った感じです。
壁画館に入ります。300円でした。壁画は昭和47年に発見されたもので、壁画館ではその忠実な配置と模写を見ることができます。法隆寺金堂壁画と並んで白鵬文化の代表的な絵画です。唐や朝鮮の影響を受けていると言われています。女子群像で鮮やかな色彩です。
玄武像です。他に白虎、青龍、男子群像等があります。海獣葡萄鏡等の副葬品も展示されていました。
亀石
亀石という謎の岩です。南西の方を向いていますが、西を向くと奈良盆地が泥沼になると言われています。この辺は謎の巨大石造物が結構あるようです。
橘寺
聖徳太子生誕の地橘寺へ向かいます。
拝観料は400円でした。聖徳太子建立七ヵ寺の一つで、聖徳太子座像が国重要文化財となっています。聖徳太子は厩戸王と言われ、橘豊日命(用明天皇)と穴穂部間人皇子の間に生まれ、仏法を深く信仰されたそうです。蘇我馬子と関わりが深かったのも分かります。
黒の駒で、太子の愛馬とされていました。
往生院の天井のパネルは花の絵が260点もあるそうです。とても綺麗でした。
飛鳥の地方にはこのような万葉歌碑が随所に見られます。
石舞台古墳
橘寺を出て石舞台古墳に向かいます。
石舞台古墳入場料は300円でした。蘇我馬子の墓と言われています。聖徳太子と関わりが深かったので橘寺の側になるのも頷けます。古墳って言うと仁徳天皇陵みたいな大きな鍵穴の形をイメージしますがそれは古墳時代で、古墳時代後期からだんだん小さくなってきます。そして飛鳥時代以降はこの石舞台古墳や先の高松塚古墳のように、こじんまりとして形も変わってきます。
中に入ることができるのが面白い所です。そうでなければただの大きな石を見るだけですね。
中はこんな感じで石と石の隙間から光が差してきます。よく崩れないで1400年以上も保ち続けたと思います。しっかりした設計だったのだと思います。
近くの農村レストラン夢市茶屋で昼食を取りました。古代米御膳です。これで1400円でした。とても美味しかったです。ご飯もっと食べたかったです。
飛鳥宮跡
サイクリングで向かう途中の道ですが昔の町並みという感じがします。
これが飛鳥宮跡です。孝徳天皇が難波に遷都する前と、斉明天皇が再びここに遷都した時の飛鳥板葺宮、天武天皇が大津宮からここに遷都した時の飛鳥浄御原宮と同じ所に何回も都が遷都されています。蘇我入鹿が中大兄皇子と中臣鎌足に暗殺された現場です。歴史的に重要な場所ですが、現在はただの旧跡と草むらを残すばかりです。
奈良県立万葉文化会館
万葉集や歌のルーツを学べるミュージアムです。一般展示は無料でした。昔は問答歌を通じて相手に気持ちを伝えたそうです。柿本人麻呂の万葉劇を観ることができました。ゆっくり見たかったのですがどんどん時間が経ってしまいますので40分くらい見て後にしました。
飛鳥寺
飛鳥寺は蘇我馬子が発願し、推古天皇が創建された日本最古の寺です。拝観料は350円です。創建当時は3つの堂が塔を取り囲む雄大な配置でしたが鎌倉時代に大半を焼失したようです。
本堂にある本尊の釈迦如来像は日本最古の仏像です。法隆寺の金堂釈迦三尊像と同じ止利仏師作ですが、こちらの方が大分大きいです。
礎石は当時のまま今でも残っています。
寺を出た所にある、蘇我入鹿の首塚です。
飛鳥坐(にいます)神社
縁結び、子宝祈願の神社です。陰陽石がありました。
甘樫丘
甘樫丘はビュースポットで蘇我蝦夷と入鹿の大邸宅があったようです。登る途中に万葉歌碑がありました。
山頂に来ました。畝傍山です。
耳成山です。この途中に藤原宮跡があります。
香久山です。春過ぎて なつきにけらししろたえの 衣ほすてふ 天野香久山 持統天皇が歌った百人一首の歌です。この丘は大和三山が良く見えました。
飛鳥時代の飛鳥板葺宮、浄御原宮、藤原京と平城京に都が遷る前の都があった地です。今は草深くなってしまた感じでしたが、サイクリングをするのは十分な趣のある地でした。