2024.11.20(水)は奈良の西京巡りです。大和西大寺から西ノ京駅で降り徒歩5分の所に薬師寺があります。
薬師寺
薬師寺は天武天皇により発願された白鳳文化の寺です。元は大官寺や飛鳥寺と共に藤原京にあったものですが、平城京の遷都に伴って右京に遷されました。ちなみに右京は西京にあたります。
開門時間の前に着きました。白鳳伽藍は9:00からですが、玄奘三蔵院伽藍の方は開いていました。白鳳伽藍の拝観料は1000円と高いですが、それでも見る価値はあると思います。東塔、金堂薬師三尊像、聖観世音菩薩は白鳳文化の象徴です。
東塔です。創建当時から残る唯一の建造物で、軒と軒の間に裳階がついており六重に見えますが、三重塔です。律動的な美から、凍れる音楽と言われています。いぶし銀と言った感じでした。
西塔です。西塔は復興されたものですが、東塔も創建当時はこんな感じだったそうです。東塔と西塔を見比べてみますと、古色を帯びて尚輝きを放つ東塔に古い物の良さというのを感じました。更に1000年の時を経るとどう変化するのか興味深いです。
金堂です。中には薬師三尊像が安置されています。中央が薬師如来、向かって右が日光菩薩、左が月光菩薩です。白鳳文化の金銅仏の最高傑作です。
中門の左右には金剛力士像が安置されており、向こうに金堂が見えます。修学旅行生も来ていました。
回廊の外にある東院堂です。この建物も国宝で鎌倉時代に再建されたものです。中には聖観世音菩薩が安置されており、これはグプタ朝の影響を強く受けています。四天王像もありました。
東塔、西塔、金堂は回廊に囲まれています。
玄奘三蔵院伽藍の玄奘塔は遠くから見るだけでした。天平文化の吉祥天画像も見れませんでした。1/1~1/3まで特別公開しているそうです。
唐招提寺
唐招提寺は仏教を普及させるため唐から来日された、鑑真和上が創建された天平文化を代表する寺の一つです。拝観料は1000円でした。
南門より入って金堂が見えます。天平の甍と呼ばれるとても貴重な国宝の建造物です。中には薬師如来、廬舎那仏座像、千手観音立像が安置されています。
講堂です。現存する平城宮唯一の建築物です。内部は、本尊弥勒如来坐像、持国天、増長天立像等が安置されています。
近くでみると木造建築素晴らしさを堪能できます。
しっかりと手入れされているところは薬師寺と一緒です。
開山御廟です。北東に位置するひっそりしたこの場所は鑑真和上の墓所です。
戒壇です。僧となるための授戒が行われる場所です。その他に開山堂には鑑真和上の身代わり像がありましたが、本物の和上像は公開されていませんでした。毎年6月5日~6月7日に御影堂で公開されるようです。全体的に自然と融合し、よく自然と調和が取れた感じの寺でした。
唐招提寺を出て川沿いの道です。こういう道は歩いていて気持ちがいいです。
平城宮跡
昼食は彩華ラーメンで、ラーメンと炒飯のセットを頼みました。並んでいましたがとても美味しかったです。このラーメン屋が自分の家の近くにもあばいいのにと思いました。
平城宮跡です。前に見える門が朱雀門で、この道が朱雀大路で平城京の真ん中を貫く大路でした。そして反対方向の平城京の入り口に羅城門があったようです。
710年に元明天皇が藤原京から平城京に遷都しました。この朱雀門をくぐると平城宮でこれより手前が平城京にあたります。平城京は唐の長安にならって条坊制でした。ちなみに朱雀は南を守る聖獣です。
門をくぐるとこんな感じです。左右にはススキが茂っており、線路が横切って、向こうに大極殿が見えます。この辺は1mも掘るとすぐに平城宮の跡が出てくるようです。それを保存しておきたいようです。ボランティアのガイドさんが教えてくれました。
近鉄奈良線が横切っており向こうに行くにはこの踏切を渡る必要があります。
平城宮は言わば、皇居と行政機関が一緒になったようなもので、ここが国の中枢だったのです。行政機関朝堂院はこの広い空間にあったようです。しかし今となっては見る影もありません。平安京に遷都した時全部移ってしまったようです。
大極門です。この向こうが天皇が政務を司った第一次大極殿があります。工事しているため門をくぐって行くことはできず、左から迂回して行くことになります。
こんな感じです。
迂回した左の方に平城宮跡資料館がありました。門や建物がどのように再現されたのかが分かります。
今度は後の方から見た光景です。右に見える平べったい建物が平城宮跡資料館です。
大極門の左にある建設中の建物です。
見晴らしが良かったです。当時の平城京の状態をできる限り復元してやろうという意気込みを感じました。
道を挟んで東側にもあります。この辺は内裏があった所で天皇の生活の場だった所です。向こうの山が若草山で東大寺の大仏殿の屋根が見えます。
この辺が第二次大極殿があった所です。
東院庭園です。今の迎賓館のようなものです。少し分かりにくい所にありました。
内裏の横にある遺構展示館です。柱を立てた後です。
飛鳥旧跡と言いこの平城宮旧跡と言い時代を経れば何も無くなってしまうのだなっと思いました。今回は行きませんでしたが、この間の藤原京旧跡もこんな感じなのだと思います。
佐紀盾列古墳群(さきたたなみこふんぐん)
平城宮跡の北側に3つの古墳と大きな池があります。池は水上池、古墳は左上からヒシアゲ古墳、コナベ古墳、ウワナベ古墳と言い佐紀盾列古墳群(さきたたなみこふんぐん)と言います。3つとも前方後円墳です。この古墳群を散策しました。
水上池です。静かな感じの池でした。これだけ大きな池を見たのは久しぶりでしたので感激しました。
散策道もあって散策しやすいです。
ヒシアゲ古墳の入り口です。仁徳天皇皇后の磐之媛命の陵です。木々が鬱蒼と茂り堀が狭い感じですがこの向こうにも堀があるようです。中までは入れません。
これはコナベ古墳です。堀が広いです。一条高校の陸上部の生徒達が回りを走っていました。
これはヒシアゲ古墳周囲の散策路ですが、京都との県境のようです。
これはウワナベ古墳です。規模が一番大きく水もエメラルドグリーンで綺麗でした。応神天皇の娘、仁徳天皇の皇后八田皇女の陵墓参考地となっています。
古墳は中に入れるわけではなく、観光資源としては弱いですが、息抜きに周辺を散策するのは面白いです。